日本伝合気柔術について
日本伝合気柔術は大東流合気柔術をもとに創られた総合武術です。勝つことを目指さず、相手の(害を加えようとする)目的を達成させないことを戦略的な目標としています。転身、合気、投げ技、関節技などから構成されている形を継続的に稽古することによって、その目標を達成する方法を身につけるとともに心体の修養を図っています。当館ではその日本伝合気柔術の技を理論的に解説し、稽古しています。
「合気柔術の技は神秘ではなく、実践的な理論で成立している。」と考えています。
頭/言葉で理解するだけで技ができるわけではありません。まして呪文のような特別な言葉やちょっとしたコツを知るだけで技ができるようになるわけではありません。継続した稽古により技を身につけ、脳を鍛え、心(平常心・自制心)の修養を図る必要があるのです。
- 1. 理論に基づいた定められた動きを行う。
- 2. 体で覚える。
- 3. 意識でさらに高次の別のこと(相手の動きの知覚、周囲の状況の把握)を行う。
- この段階から初めて、生きた「合気」が使えるようになります。
- 4. 動きの洗練(意識による不要な自動運動(無意識)の抑制)
- 5. 熟練(さらに高度な自動化(正確化))
を繰り返すことにより技・心の研鑽が行われるのです。
日本伝合気柔術と分岐点、二軸
指導者の提示する一つ一つの形はそれなりにできる。けれど受手の予想外の動きに対応できない。居ついてしまう。多人数に対応できない…、そんなことはないだろうか。これでは実践で使えない。そんなことを感じてはいないだろうか。
日本伝合気柔術の特徴は後述してありますが、大東流を3系統(三大技法)に分類し、体系づけたことと表向きにはされています。しかし重要なことは、“理論化”したという点です。大東流に限らず、形稽古・約束組手であれば当然のことなのですが、こう攻撃がきたら、こう捌いて、こう極める・投げる・固めるという決め事の集合になっており、前述のような“実践で使えない”という危惧をいだかせてしまいます。この問題に対し、日本伝では大東流三大技法の1つ1つの形は崩さずに、形を複数のパーツに分解・再構成し稽古できるようにしたのです。
そこにあるのが、分岐点という発想です。
これが日本伝合気柔術の中心理論となります。鶴山の稽古に参加したことのあるものならこの存在を納得できるでしょう。ただこの存在を言葉で、または頭で知っているだけでは意味がありません。それを可能にする体の使い方を習得する必要があるのです。そこで大きな役割を担っているのが二軸の操体法となります。
日本伝合気柔術の歴史
鶴山晃瑞は大阪に大東流合気柔術免許皆伝久琢磨を訪ね、門人となりました。昭和39年のことです。大東流合気柔術は明治中頃から戦前にかけ武田惣角(安政6年~昭和18年)が世に広め、多くの弟子を輩出した武術です。鶴山はそれまで、空手、杖道、合気道、中国拳法、ボクシングなど広く武術・格闘技を修めていました。大東流に興味を持ち、惣角門下唯一の免許皆伝を授けられた久に入門したのです。
大東流合気柔術は、現在も指摘されているように体系が確立されておらず、各教授代理もそれぞれの解釈や得意な技術で各々独自に指導を行っており、混乱が見られました。研究熱心であった鶴山は久入門後もその教えだけでは飽き足らず、当時存命していた惣角の直弟子(武田時宗、堀川幸道、山本角義など)の各教授代理からも各々の大東流合気柔術を学び、研究を行いました。その結果、惣角の大東流合気柔術を柔術、合気柔術、合気之術の3系統(三大技法)に体系づけ、さらに理論化することで昭和52年久琢磨を宗家とする日本伝合気柔術を創始したのです。
日本伝合気柔術の目的は相手(敵)の殺傷ではありません。
- ① 相手の(害を加えようとする)目的を達成させない
- ② 可能であれば相手を無力化し、取り押さえる
- ③ 理想としては相手に障害を与えず、改心させる
を戦略的な目的としています。そのため基本的にはこちらから攻撃せず、戦略守勢(専守防衛)の形をとっています。これには柳生新陰流兵法(江戸柳生)の思想が含まれています。鶴山は昭和60年、江戸柳生研究家大坪指方師範(尾張柳生家厳長・厳周二代より印可をうける、下条小三郎門下)より柳生新陰流兵法の免許皆伝を受けています。同時に江戸柳生に関しても薫陶を得、柳生宗矩の座右の銘“勝つ事は致さぬが負けぬ術(すべ)を存じ居る”を彼の流派の理想としたのです。
その目的を達成するための核=基本のひとつとして躰動法(3種)の型を制定しました。
- (ア) 柔術躰動法(別名「柔術拳法」、「合気拳法」)(柳生心眼流より改変)
- (イ) 合気柔術躰動法(別名「杖対太刀の形」)(神道夢想流杖術より改変)
- (ウ) 合気之術躰動法(別名「合気之術呼吸体操」)
簡単に説明すると、これらの躰動法により①の目的を達成します。その後は大東流諸派に伝わる技法で②③を達成します。合気柔術躰動法は杖の形ですが、素手、懐剣、鉄扇、小太刀の転身として応用・汎用されている日本伝の基本中の基本です。
鶴山は大東流合気柔術を未完成ととらえ、それを補完するために日本伝合気柔術を創始しました。昭和63年、後継者に伝える前に鶴山が急逝したため、日本伝合気柔術も未完成のまま残され、形式的には失伝しました。
厳武館はこの日本伝合気柔術を研究・普及・伝承を目的とし、平成18年に設立しました。
鶴山晃瑞師範経歴
昭和3年 誕生
昭和30年頃 中山正敏の道場で空手を学ぶ
昭和33年頃 神道夢想流杖道師範清水隆次に入門
昭和35年 有楽町の産経道場にて合気道を学ぶ
昭和36年 太極拳・形意拳・八卦掌を佐藤金兵衛に学ぶ
昭和37年 電電公社に合気杖道部を設立
昭和39年 大阪に久琢磨師範を訪ね、門人となる
昭和43年 久琢磨師範上京
昭和46年 「図解コーチ合気道」を出版
昭和48年 電電公社退職
昭和49年 朝日カルチャーセンター「女子合気道」講座の講師となる
昭和52年 日本伝合気柔術免許皆伝を久琢磨師範から受ける
昭和54年 久琢磨師範神戸に帰る
昭和55年 久琢磨師範死去
昭和58年 「図解コーチ護身杖道」出版
昭和60年 新陰流大坪指方師より師範印可を受ける
昭和63年 12月死去